
「うつ」は本当に苦しいものです。医療のサポートを受けながら、「うつ」の時期を大切に過ごさねばなりません。しかし、「創造的な病」(エレンベルガ―)の側面もあるかもしれません。あなたにとっての「うつ」の意味をともに考えながら、新しい自分に生まれ変わるための転機となるよう応援します。
「うつ」は本当に苦しいものです。私にも経験があります。ですから、「うつ」の方の苦しみは身をもって感じることができると思います。
生きるか死ぬかの大変な時期でした。人間関係、重積感、多忙、人生への疑問など、ありとあらゆることが重なり、心身ともにストップ!となったのです。今振り返れば、当然の成り行きだったようにも思います。回復できたのは、自分が望む生活や人生を定め直したことと、周囲の方々の優しさのおかげでした。本当にたくさんの方に支えていただきました。甘え上手になれたと思います。人生において、上手に甘えることができると、絶対に得です。
「うつ」は単なる心の病というより、脳や身体全体にかかわる、多分に生理的な面での疾患と言えますので、意志の力ではどうにもコントロールできません。必ず医療のサポートを受けながら、大切に「うつ」の時期を過ごさねばなりません。職場やご家族の理解や協力も不可欠です。
しかし、「創造的な病」(エレンベルガー)、「創造的退行」(シェーファー)の側面もあるかもしれません。
ユングは人生後半の課題を、自我の「死と再生」だとしました。「真の自己」を生きるためには、古い自我(育ってきた環境や因習によって作られた、仮のみせかけの自我/ペルソナ)をまず慈しみ、そして別れていかなければならないのです。
青年期まで順調に過ごしてきても、働き盛りの中年期に不測の事態に陥ることがあります。病気になったり、事故に遭ったり、様々な人間関係に苦しんだり…。「こんなはずじゃなかった」と、戸惑い焦ります。また、若い頃からのコンプレックスややり残したことがある人は、それにとらわれて悶々とした気分に陥ります。その息苦しさがついに堪えられないまでに膨れあがって、うつ的な気分から抜けられなくなることがあります。いわゆる「うつ病」を患い、休職を余儀なくされることもあります。
これは、あなたの内面の「真の自己」を生きたいという衝動から起こっていることかもしれません。こんな時こそ自分に正直に、「タオ」に従います。つまり、「うつ」に入るのです。満たされなさ、焦りをそのまま感じる。悲しいときは悲しみに浸る。泣きたいときは泣く。甘えたい気持ちを否定しない。怒りは怒りとして認める。自分の感情をごまかさず、抑圧せずに受け入れることがとても重要です。そして、自分が本来望むあり方、生き方を探っていくのです。
「うつ」に限らず、精神的な苦悩は、その人が弱いから起こるというものではありません。むしろ、よく生きようとするエネルギーがもたらす場合もあるのです。ユングも、フロイトと決別後、ひどい病的な状態に陥り(「うつ」どころか統合失調症のような様子だったと言われます)、その時期をひたすら自分と向き合って過ごしています。そして自らを研究対象とし、新しい重大な心理学的発見を果たしたのでした。
しかし、「うつ」と向き合うのは言葉で言うほど簡単ではなく、大変な苦しみと恐怖を伴う心の作業です。もちろん、現実的な日常生活において実践しようとすると、様々な支障が生じます。医療のサポートをきちんと受けながら、「夢」や「イメージ」の世界でも取り組むことをお勧めします。
「夢」や「イメージ」はいわゆる「非現実的」なものですが、あなたの「無意識」の現れで、れっきとした「心の真実」です。「タオ」に従い、それらをじっくり味わうことで、あなたの中の本来の生命力や創造力を思い起こし、深いところから変わっていくことができるかもしれません。
「うつ」は、夢やイメージでは、よく「洞窟」や「地下世界」、「トンネル」、「暗闇」などとして現れ、「墓場」を連想させます。文化人類学には、「子宮墓場」という言葉があります。墓場=子宮。「タオ」に身を委ね、積極的に「墓場」に入って静かに耐え、自分に起こっていることに「アウェアネス」を向けます。「漂いながら自覚する」のです。すると、ふいに暗闇に光が差し込む時が来ます。古いものは死に、その同じ場所から全く別の新しい命が生まれます。ユングは、これを「錬金術的変容」と言いました。
「ドリームワーク」で紹介した【私の夢1】のバスタブは、まさにそれです。
あなたにとっての「うつ」の意味を探りながら、「うつ」の創造的な側面を生きましょう。あなたの人生にとって、これがよき転機となるよう、そばにいて応援したいと思います。
※カウンセリングもプロセスワークも万能ではありません。通院中の方は、必ず主治医の指導に従い、よくご相談の上、お申し込みください。
※思春期の「うつ」は、人生後半の「うつ」とは意味合いが違います。思春期はしっかりとした「自我作り」の時期です。思春期の「うつ」から回復するには、ご家族の方の協力が不可欠の場合がほとんどです。

蓮は冬になると、無残にも枝折れて泥に溶けていきます。そして、きっと「泥のような眠り」に耽ふけるのです。その眠りの中でどんな夢を見ているのでしょう?痛々しくも見えますが、その潔さや静けさが私は好きです。
そして、夏になるとその泥から小さな巻葉が立ち上がり、莟をつけ、花を咲かせます。風に吹かれて、いい香りを運んでくれます。「うつ」から立ち直る、新しい命になるというのも、こういうことではないかと思います。
枯蓮は東京上野の不忍池、莟は岡山後楽園の井田の「大賀蓮」、白い蓮は岡山後楽園の「花葉の池」「一天四海(大名蓮)」です。散歩の途中に撮りました。